北欧3国がまだEU加盟をしていなかったから、少し前の話だ。僕はデンマークを抜けてスウェーデンに向かう夜行列車に、ドイツのハンブルグから乗車した。トーマスクックの時刻表によると、この列車はデンマークでフェリーに積まれ、海路でスウェーデンに上陸することになっている。「バイキングの国になかなかふさわしい趣向じゃないかな」と思ったので、ドイツでクシェット(簡易寝台)の切符を入手して乗り込んだのだ。
そのときのコンパートメントは確か中年のフランス男性、中年のアメリカ男性、若いアメリカ男性、そして僕という構成だったと思う。2人のアメリカ人と僕は旅行中の気安さで、消灯までの1時間ぐらいを取り留めのないことで談笑しながら過ごした記憶がある。内容は、それは本当に面白い話だったのかも含めて、まったく覚えていない。ただ、このコンパートメントは安全そうだと、ホッとしていたことだけは覚えている。
消灯間近に互いにお休みの挨拶を交わすと、めいめい自分のベッドを作り始めた。僕のベッドは列車の進行方向側の上段、揺れは少し大きいが、車輪が線路の上でゴトゴトンッと繰り返す音は気にならない。身支度を簡単に済ませると、僕は狭いベッドに横になった。すぐに、コンパートメントの電気を誰かが消し、ドアの鍵を下ろす音がした。周期的に繰り返す揺れと昼間にたまった疲労に眠気を誘われて、すぐに僕は眠りに落ちていった。次に目覚めるときには、そこはスウェーデンだろう。
突然、ドアをノックする音で目が覚めた。下段のフランス人がドアを開けると、まぶしい光が廊下から差し込んでくる。いつの間にか電車は止まっていて、外は静かだ。僕は手を伸ばしてコンパートメントの電気を付ける。夜中の2時半頃だっただろうか。開いたドアから、紺の制服を着た男女2人がコンパートメントに入ってきた。
彼らがデンマークの税関だと分かったのは、寝ぼけた頭がようやく目覚めてきた頃だった。この時、既にデンマークはEUに加盟していたし、停車駅のない通過国だったので、まさかパスポートコントロールに来るとは思ってもいなかった。こんな夜中に、と皆で顔を見合わせながら渋々パスポートを順番に渡す。税関職員はビザをチェックすると、スタンプも押さずにパスポートを返した。やはり、まだEUを出ていないのだ。
税関職員は、最後にアメリカ人の若者のパスポートをチェックすると、不満そうな顔をした彼に返した。彼は受け取ったパスポートを首からぶら下げた貴重品袋に入れて、シャツの下にしまう。さて、これで終わりかなと誰もが思ったとき、職員がアメリカ人の彼のバッグを指さした。チェックするからバッグを開けろと言うのだ。仕方がないと苦笑しながら、彼はバッグの口を全開にした。どうぞとばかりに彼が職員の方に向かって頭を上げると、今度は中の物を出せと言う。彼は何か小さな声で口走ったが、諦めたようにバッグの一番上に詰まっていた袋を取り出した。もういいかな、というように再び職員の方を見る。さらに出せという合図。結局、彼はバッグの中の物を全てベッドの上に広げることになった。もはや、運が悪かったと笑うしかない。回りで見ていた僕達はその様子を彼と共に笑いながらも、次は自分の番ではないかいう不安で少し落ち着かない。だが、見せしめは彼だけで終わりだった。税関職員は、広げた荷物の前でアメリカ人に簡単な謝意を伝えると、「お休み」と言って僕達のコンパートメントを出て行った。
アメリカ人はバッグの中身を元に戻し始めた。他の者は再び自分のベッドの上に戻り、身を横たえる。今はもう、誰も言葉を交わそうとはしない。荷物を片付けたアメリカ人がコンパートメントの電気を消した頃、遠くで列車のドアが閉まる音がした。税関職員が列車から降りたのだろう。
列車はゆっくりと前進し、しばらくしてまた停車した。しかし、完全に停まったという感覚が無く、絶え間なく静かに揺れているのを感じる。やがて、そのゆれに微かな加速度が加わり、列車ごとどこかに運ばれているのが分かった。すでに、スウェーデンに向かうフェリーに乗っているのだ。僕は暗闇の中で目を閉じると、バルト海の穏やかなさざなみを感じながら再び眠りに落ちていった。
(2004.7.3)
2005年05月01日
2005年03月21日
タイの優しい女の子
これは、2003年8月、タイを一人で旅行した私が遭遇した恐怖の体験である。
スコータイの町は、世界遺産にも指定された有名な遺跡の約12km東にある小さな町である。前日に遺跡を廻り、その日の午後のフライトでバンコクに戻る予定だった私は、その前に唯一ガイドブックに載っていた博物館に寄って行こうかと朝の町を歩いてきだした。本によると博物館は宿から約1km。観光客慣れしたトゥクトゥク・ドライバーとの値段交渉にうんざりしていた私は、時間も十分あることだし、少し遠いが歩いていくことにしたのだ。
いつの間にか、すっかり町の外まで来ていた。舗装をしていない道を車が砂埃を巻上げながら走っていく。額を流れる汗を袖でぬぐいながら、水のボトルを出して喉を潤す。遮るものもない道で浴びる熱帯の日差しは、ちりちりと肌を焦がすほどに厳しい。
「ずいぶん歩いてきたなあ」
すぐ着くものと思っていた目論見の甘さを実感しつつも、次の角を曲がれば目的地の博物館があると思えばそれほど気の重いものではない。
ところが、次の角で私を待っていたのは小さな商店だった。男の子が店番をしていて、パンやお菓子が並んでいる。もっと先に博物館があるのかな、と思って首を伸ばして見てみるが、その先にも普通の家以外には何もない。仕方なく、店番の男の子に英語で
「この辺に博物館はないかなぁ。」
と問いかけると、男の子は恥ずかしそうに笑って奥に引っ込んでしまった……。
私がどうしようかと迷っていると、店の奥から女の子が現れた。たぶん、さっきの店番の姉なのだろう、ピンチヒッターで現れたに違いない。タイ人の年齢を当てる自信はないが、高校生といったところだろうか。再び、私が馴れない英語を操ると女の子も恥ずかしそうに笑って、店の奥を見る。どうやら、別に英語ができるから来たわけではなかったのだ。奥に引っ込んだ弟にはめられたらしい。しかし、彼女は『無類の』親切だった。道行く人を呼び止めては英語ができないかと問いただし、たとえできなくても足止めし、私の行きたいところがどこなのかテレパシーでも構わないから察知してくれといわんばかりに私の言葉に耳を傾けさせる。両隣は言うまでもなく、ちょっといい家に住んでいるらしいお向かいも呼び鈴を押して呼び出し、英語の地図を見せて私の行く先を教えてくれるように、私に代わって頼み込む。この辺りで私にも事情が分かってきたことだが、どうやら地図の方が博物館の位置を誤って記載してあるらしく、それがこの収拾のつかない混乱を引き起こしてしまったようなのだ。
かれこれ10人近くの人が集まり、30分以上も私の行き先について話し合っている。私はと言えば、もう博物館に辿り着くことを諦め始めていて、その意志を伝えようとするのだが、傍らのおじいさんに座って待っていてくれとベンチを指さされ、おとなしく待つしかない。その間にもまた一人の通行人が呼び止められ、なぜか皆で私がどこに行くべきかを相談している。私はベンチで置き去りなのに。
1時間ぐらいたっただろうか。突然、商店の女の子がヘルメットを手に私のところにやってきた。ほかの人たちは依然話し合いを続けており、おそらく彼女は何か用事があるからと出かけるところなのだろう。ところが、スクーターを押して再び現れた彼女が、後ろに乗れと言うようにスクーターを指さす。どうやら、ほかの人たちはともかく、彼女は『彼女なりに』結論を得たようだ。彼女の結論が私を抜きにして導かれたことに多少の困惑を感じつつ、もうあまり時間もないし、ここで親切を無にすることもないかと考え、さらにどうせこの町はずれにいては宿まで戻る足もないなと計算しながら、言われるままにスクーターに乗ろうとして、躊躇した。
スクーターの腰掛けはそれほど大きいものではない。割と大柄な私が座ると彼女の体に触れてしまいそうだ。それは初対面の彼女に対して失礼だし、不快に感じるに違いない。そう思うと、私は少し後ろに下がって彼女との間に無理に空間をあけ、腰掛けの最後尾ぎりぎりの位置に腰を据え付けた。さらに、ちょっと座りが悪いな、と少し腰を浮かせて調整しようしたところへ、彼女は小さくアクセルをふかし、スクーターを砂埃の上がる車道へと滑らせた。急をつかれた私は、どうにか落とされない程度に体勢を立て直し、腰掛けを両手で固く握りしめ、飛び散る砂を顔に浴びながら必死にしがみつく。道は小石だらけで揺れも大きく、不安定な体制のままカーブで振り落とされまいと睨むように前を見据える私の形相は、きっと鬼気迫るものがあったに違いない。
スクーターはさらに1km弱の道のりを走り、無事に目的の博物館の前に到着した。私はその時、彼女の親切にとても感謝していたが、”Thank you”と口に出して言うのが精一杯だった。
(2004.4.23)
スコータイの町は、世界遺産にも指定された有名な遺跡の約12km東にある小さな町である。前日に遺跡を廻り、その日の午後のフライトでバンコクに戻る予定だった私は、その前に唯一ガイドブックに載っていた博物館に寄って行こうかと朝の町を歩いてきだした。本によると博物館は宿から約1km。観光客慣れしたトゥクトゥク・ドライバーとの値段交渉にうんざりしていた私は、時間も十分あることだし、少し遠いが歩いていくことにしたのだ。
いつの間にか、すっかり町の外まで来ていた。舗装をしていない道を車が砂埃を巻上げながら走っていく。額を流れる汗を袖でぬぐいながら、水のボトルを出して喉を潤す。遮るものもない道で浴びる熱帯の日差しは、ちりちりと肌を焦がすほどに厳しい。
「ずいぶん歩いてきたなあ」
すぐ着くものと思っていた目論見の甘さを実感しつつも、次の角を曲がれば目的地の博物館があると思えばそれほど気の重いものではない。
ところが、次の角で私を待っていたのは小さな商店だった。男の子が店番をしていて、パンやお菓子が並んでいる。もっと先に博物館があるのかな、と思って首を伸ばして見てみるが、その先にも普通の家以外には何もない。仕方なく、店番の男の子に英語で
「この辺に博物館はないかなぁ。」
と問いかけると、男の子は恥ずかしそうに笑って奥に引っ込んでしまった……。
私がどうしようかと迷っていると、店の奥から女の子が現れた。たぶん、さっきの店番の姉なのだろう、ピンチヒッターで現れたに違いない。タイ人の年齢を当てる自信はないが、高校生といったところだろうか。再び、私が馴れない英語を操ると女の子も恥ずかしそうに笑って、店の奥を見る。どうやら、別に英語ができるから来たわけではなかったのだ。奥に引っ込んだ弟にはめられたらしい。しかし、彼女は『無類の』親切だった。道行く人を呼び止めては英語ができないかと問いただし、たとえできなくても足止めし、私の行きたいところがどこなのかテレパシーでも構わないから察知してくれといわんばかりに私の言葉に耳を傾けさせる。両隣は言うまでもなく、ちょっといい家に住んでいるらしいお向かいも呼び鈴を押して呼び出し、英語の地図を見せて私の行く先を教えてくれるように、私に代わって頼み込む。この辺りで私にも事情が分かってきたことだが、どうやら地図の方が博物館の位置を誤って記載してあるらしく、それがこの収拾のつかない混乱を引き起こしてしまったようなのだ。
かれこれ10人近くの人が集まり、30分以上も私の行き先について話し合っている。私はと言えば、もう博物館に辿り着くことを諦め始めていて、その意志を伝えようとするのだが、傍らのおじいさんに座って待っていてくれとベンチを指さされ、おとなしく待つしかない。その間にもまた一人の通行人が呼び止められ、なぜか皆で私がどこに行くべきかを相談している。私はベンチで置き去りなのに。
1時間ぐらいたっただろうか。突然、商店の女の子がヘルメットを手に私のところにやってきた。ほかの人たちは依然話し合いを続けており、おそらく彼女は何か用事があるからと出かけるところなのだろう。ところが、スクーターを押して再び現れた彼女が、後ろに乗れと言うようにスクーターを指さす。どうやら、ほかの人たちはともかく、彼女は『彼女なりに』結論を得たようだ。彼女の結論が私を抜きにして導かれたことに多少の困惑を感じつつ、もうあまり時間もないし、ここで親切を無にすることもないかと考え、さらにどうせこの町はずれにいては宿まで戻る足もないなと計算しながら、言われるままにスクーターに乗ろうとして、躊躇した。
スクーターの腰掛けはそれほど大きいものではない。割と大柄な私が座ると彼女の体に触れてしまいそうだ。それは初対面の彼女に対して失礼だし、不快に感じるに違いない。そう思うと、私は少し後ろに下がって彼女との間に無理に空間をあけ、腰掛けの最後尾ぎりぎりの位置に腰を据え付けた。さらに、ちょっと座りが悪いな、と少し腰を浮かせて調整しようしたところへ、彼女は小さくアクセルをふかし、スクーターを砂埃の上がる車道へと滑らせた。急をつかれた私は、どうにか落とされない程度に体勢を立て直し、腰掛けを両手で固く握りしめ、飛び散る砂を顔に浴びながら必死にしがみつく。道は小石だらけで揺れも大きく、不安定な体制のままカーブで振り落とされまいと睨むように前を見据える私の形相は、きっと鬼気迫るものがあったに違いない。
スクーターはさらに1km弱の道のりを走り、無事に目的の博物館の前に到着した。私はその時、彼女の親切にとても感謝していたが、”Thank you”と口に出して言うのが精一杯だった。
(2004.4.23)


