2006年02月04日

明日は明後日やってくる

 「課長、これ終わりました。ちょっと休んでいいですか?」
「よし、終わったか。15分なら寝てもいいぞ」
竹田はふらふらした足取りで会議室に向かっていった。休むぐらいならさっさと全部やっちまえよ、と俺は思いながらその後ろ姿を見送る。
「課長、これから私の担当の3.3.5-8章を書こうと思うのですが、竹田君の後に続く章なので、一応その原稿に目を通したいのですが。」
竹田の原稿が終わるのを待ってましたと言わんばかりに、山さんが立ち上がった。さすがはベテラン、段取りがいい。
「おう、ちょっとちょっと待ってくれ山さん。うーん、山さん。済まないけど、竹田を起こしてきてくれないか。これは、ひどい。ひどすぎる……」
山さんはまたかというような表情をして、課長の机に並べられた栄養ドリンクを一本取った。
「あ、まて、山さん。もう一本持って行ってくれ。竹田には鼻血を出してでもここはきっちり書かせないといけない。あいつももう新人ではないんだしな。」
了解、と頷いて山さんは一番大きな栄養ドリンクを取り上げた。執務の杏子ちゃんが「これ飲んでどうなっても知りませんからね、ふふふ」と言いながら差し入れたやつだ。課長でさえも山さんの行動に目を大きく見開く。

 突如、会議室に入った山さんから悲鳴が上がった。
「いません、竹田がいません」
課長の顔がさーっと青くなる。俺たちも顔を見合わして何か言おうとするが、もぞもぞと口が動くばかりで誰が何を言っているのかまったく分からない。
「斉藤、竹田は確か7章も書くことになっていたんだよな。」
課長が悲鳴に近い声を上げた。声が裏返っていてほとんど何を言っているのか分からないが、俺たちにはそれが分かる。7章。この提案書の目玉。竹田が半年かけて調べあげて考えた、竹田しか知らない魅惑の1章。計り知れない無限の宇宙――。
「おい、誰か竹田の代わりに7章を書けるやついないか。おい、誰か……誰か……」
課長の声がかすれてもう何を言っているのか分からない。口をぱくぱくと開いても声も出ない。
「課長、竹田を捜しましょう。まだ遠くには行っていないはずです。」
冷静な山さんがいつの間にか課長のデスクの前に立っていて、しっかりとした声で言った。山さんの落ち着き様より、山さんの握りしめたひときわ大きな栄養ドリンクが既に空になっていることに、俺たちは既に追いつめられていることを悟った。山さんが、あの山さんが「これ飲んでどうなっても知りませんからね、ふふふ」のドリンクを口にしたんだ。俺たちの背中に、骨髄に、全身に戦慄が走った。
「いいか、役所への提案書の締切は今日の夕方5時だ。役人は役人だ。期限は一分でも待ってはくれない。今、俺たちにできることは竹田を即時捕獲するしかない。意見は。」
山さんの怪しく光る眼差しに、すでに会議室での仮眠を繰り返してきた俺たちの濁り始めた眼差しが妖しく答える。そうだ、竹田を捕まえろ。
「だから……だから俺はまず7章から書けと竹田に言ったんだ……あー、このままでは……」
何か繰り返しつぶやいている課長をあとに俺たちは竹田の後を追って朝靄のかかった外に出た。確かこれが6度目の朝だ。俺達にはいつまで今日が続くのか、既にわけが分からない。

(2005.10.22)
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2006年01月15日

三つの願い

 海より吹く穏やかな風が磯辺にも春の到来を告げていたが、懐から古いランプを大事そうに取り出した男がそんな季節の機微を感じているようには思われなかった。鋭く周囲を見回した初老の男は、取り出したランプを袖で強くこすり始めた。豪奢な服の袖がみるみる汚れていく。しかし、ランプは錆びる前の地金の色合いを僅かに取り戻しただけで、それ以上の変化を見せることはなかった。「ちっ、またか」男は小さく罵ると、ランプを足下の岩に向かって投げつけた。
 とたんに、ランプの口からモクモクと白煙が上がり、その煙の中から背の丈5メートルはあろうかという巨大な魔神が現れた。
「誰だ、ワシの眠りを妨げる者は。」
魔神の怒りを顕わにした声が轟いたが、男は怯んだ様子もなく平然と答えた。
「私だ。お前をランプから解放したのはこの私だ。」
「解放だと?ワシはあと三百年は眠っているつもりだったのだ。それを叩き起こしておいて、解放だと言うのか?」
「それでも、お前はランプから私の助けを借りて出たではないか。私はお前を解放したのだ。ならば、お前がこの世界で自由を得る前にするべき事があるはずだろう。」
魔神は男の言いぐさにあきれ果てた顔をしたが、全能者ゆえの寛容さか
「まあ、いい。お前の3つの願いを叶えてやろう。」
と言った。
 男は近くの岩に腰掛けると、一つめの願いを口にした。
「魔神よ、私をもっとも富める国の国王にせよ。」
「なんだ、そんなことでいいのか。」
魔神は海に向かって両手を掲げると、短く呪文を唱えた。すると、海面が急激にせり上がり、その下から広大な大地が現れた。大地には森や畑、町並みが連なり、遙か向こうには絢爛たる王宮が見える。間近に見える小さな港町でさえ華やかに着飾った人々で賑わい、店先は商品で溢れている。
「これが、私の国か。なんて豊かな国なんだ。すばらしい。本当に素晴らしい。
「では、二つめの願いだ。私に永遠の若さを与えろ。」
魔神は「なんて欲深いやつだ」と嘲りの表情を浮かべながら右腕を自分の背中に回すと、再び前に腕を出した。その手には青い液体の入った瓶が握られていた。
「さあ、この液体を飲んで、永遠の若さを手にするがいい。」
魔神がそういって瓶を手渡すと、男は液体を一気に飲み干した。すると、白髪の頭に色が戻り、年を刻んでいた皺も消え、背筋もしゃんと伸び、全てが若返っていくのを感じた。見る風景も今までの翳んだ風景ではない。男はしばらくの間、ハッキリとした目で自分の王国を飽かず眺めていた。
「おい、最後の願いを言って、早くワシを解放しないか。」
しびれを切らした魔神は、男に向かって命令した。
「そうだな。それでは、三つめの願いは……」
男は狡猾な笑いを浮かべると、三つめの願いをゆっくりと口にした。
「3つめの願いは……今一度、私の三つの願いを叶えよ。」
魔神は「ふん」と男の魂胆を鼻で笑うと、
「よかろう、それが最後の願いだ。」
と告げ、右手の指をパチンと弾いた。そして、口の中でモゴモゴと呪文を唱える。すると、今度は男が何かゆっくりとした呪文を唱えた。男は自分が何で呪文を唱えたのか分からなかったが、呪文を唱え終えたとたん目はかすみ、腰は曲がり、自分が元の老人に戻っていくのが分かった。それを見た魔神は右手の中に先ほどの瓶を再び現すと、男に渡す。渡された男が上を向いて瓶を口に近づけると、口から青い液体が流れ上ってきて瓶に収まった。男は起こっていることに戸惑いながら瓶を魔神に渡すと、魔神はそれを後ろ手に回して瓶ごと消した。「三つの願いを与えろとは命じたが、前の願いを取り消すとは言わなかったはずだ」と言おうとして開いた男の口から、代わりに激しい呪文がこぼれた。すると、今度は目の前の王国が海中に沈み始めた。森も畑も町も王宮も、全てを乗せたまませり上がる海面に飲み込まれて沈んでいく。
男の王国が完全に沈んだのを見届けると、魔神は両手を天に向かって掲げながら何か呪文を唱えた。これ以上、何を奪い取ろうというのか。男は思わず立ち上がって何かを叫んだはずだが、放心の態で何を言ったかも覚えていない。魔神がもう一言、呪文を唱えると、最後にハッキリした口調で
「まあ、いい。お前の三つの願いを叶えてやろう。」
と言った。男は、その言葉をどこかで聞いた気がした。そうか、この言葉は男が一つめの願いを口にする前に魔神が言った言葉だ。すると、今はあの時の状態に戻っただけなのか。男は自分にはチャンスがまだあるんだと安心し、今度の選択は慎重にしようと心に決めた。しかし、身体は男の意に反して近くの岩に腰を下ろすと、無造作に
「魔神よ、私をもっとも富める国の国王にせよ。」
と一つめの願いを口にしていた。

(2005.7.12)
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2005年12月18日

つぶやき

 あまり知られていないことだが、人のつぶやきは諏訪湖のほとりにストックされているらしい。何のためかって?一つはリサイクルするため、もう一つは使うのをを制限するためさ。つぶやきは穏やかな感情の起伏。「おなか空いた」「暑くるしいな」「やめちゃおうかなぁ」なんてネガティブな言葉はあまり一度に使わないように、ストックされてる数以上は使えないようになっている。だから、一杯のエレベータの中で誰かが「あのクライアントと最低だな」とつぶやいても、「俺のクライアントなんか猿の方がまだましだよ」「俺なんか本当にサルのクライアントだぜ」などと蔓延していくことはあまりない。それに比べてアクビなんかは無尽蔵だから、あっちでぷかり、こっちでぷかりとすぐに伝染してしまう。
 一方で「やった、ラッキー」「うーん、ごくらく極楽」「ユリーカ、ユリーカ!」などのポジティブな言葉は、いつでもすぐに使うことができるように準備されているのがリサイクルの効果だ。こういった言葉は感情のピークでつぶやいてこそ、気持ちも高まり実感することができる。タイミングを逃さぬように、言葉を切らさぬように、そのために一度使ったつぶやきを再びストックしてあるのだ。
 最近、同じつぶやきばかりがどこでも聞かれるようになったと思わないか?「うざい」「やっべー、ちょーまじやっべーよ。」「くしゅん、花粉症かなぁ。」実は、つぶやきの『管理人』達が手抜きして同じつぶやきを使い回しているからなのだ。でも、彼らにも言い分があるらしい。
「あーあ、こんなつまらない仕事、やってらんねぇよなー。」
ほら、ここでもどこかで聞いたようなつぶやきが一つ。

(2005.2.26)
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2005年11月29日

歌えアブラムシ

 ちょっとね、思った訳よ。冬って静かだなーってね。ほら、春は鳥が鳴いたり、夏は蝉がうるさかったりするわけじゃん?えっ、そんな風流なことを思うのはお前らしくないって?うるさいな、黙って聞いてろよ。秋はキリギリスとか鈴虫とかが暗くなったら鳴くわけだ。でも、冬って何にもないだろ。だから、寒々した雰囲気がいっそう寒々とするんじゃないのかな。何だか、冬って殺虫剤をかけた葉っぱみたいかなぁ、って思うんだ。たまに葉っぱの裏側にうじゃうじゃ気味の悪い虫が一杯張り付いてたりしない?そこに殺虫剤をかけると、一撃、全部みごとに死んじゃうよな。なんか、それまでざわざわ動いていたのが、一瞬で凍り付いたみたいに止まっちゃうんだ。あれって冬の静けさとちょっと似ている気がしない?
 でね、俺は考えたんだ。冬でも虫が鳴けばちょっとはマシになるかもな。でも、冬に見る虫だろ?冬にね……、ヒヒヒッ。(リリリ…リリル……。)え、何の虫の声かって?考えてみろよ。コオロギ?ヒヒヒッ。コオロギはこんなに低い声で鳴かないだろう。大体、今は2月だぜ。こんな季節にコオロギがいるわけないじゃん。それにしても、いい声だろ?ちょっと深みが出るかと思ってテノールにしてみたんだ。コオロギよりでかいから低音がよく共鳴するのかなぁ。えっ、全然わからないか。よく知ってる虫だぜ。ほら、この虫籠ん中覗いてみろよ。どうだい、このゴキブリはいい声だろ?
 あ、何だよ!スリッパ持って。やめろ!虫かごのふたを開けたら俺のゴキブリが逃げるじゃないか。あ、逃げろ、逃げろ!よし。ゴキブリだからって、殺そうとすることはないだろう。ちがう、あれはただのゴキブリじゃないんだぞ!えっ、分からないやつだな、あれは冬でも歌うゴキブリなんだぞ。まぁ、いいさ。逃げちゃったからな。後で一人で捕まえりゃいいんだ。(リリリ…リリル……。)おい、よせよ。(リリリ…リリル……。)待てよ、ただのゴキブリじゃないんだぞ。(リリリ…リリル……。)馬鹿、鳴くな。(リリリ…リリル……。)
パシッ。

(2005.3.5)
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2005年11月03日

指紋

 隣の部屋で警部が軽く片手を上げたのが見えた。何か質問があるのだろう。私は手帳をくって今回の事件のページを開けながら、隣の部屋に入った。
「えーと、君、済まないけどもう一度事件のあらましを聞かせてくれないかな。」
「はい。事件の被害者は大友昌子、28才、このマンションの部屋の住人です。大友は建築事務所に勤務しており、この部屋で一人暮らしでした。死因は足下に落ちている鉄アレイで後頭部をガツンと一撃、即死だったと思われます。事件は昨夜の十時頃と思われますが、近所の住人は特に大きな音には気づかなかったと言っています。」
「ふーん、昨日は休日だし、誰かこの部屋に来ていたという可能性は?」
「特に親しい近所づきあいはなく、詳しいことは分からないですが、彼女が誰かを部屋に入れるところを見た者はいないようです。」
「ふーん、じゃあ、物取りの仕業かね……。」
警部は足下の鉄アレイが気になるらしく、「これ触ってもいいかい?」と鑑識に声を掛けると、緑色の鉄アレイをさも重そうに両手で持ち上げた。
「こういうの、最近ダイエットとか言って若い女の子が使っているんだろ?こいつはかなり重いなあ。ここから、犯人の指紋は出なかった?ドアノブからも出なかったのか。ふーん、彼女の指紋も出ないなら、確かに犯人は後から何かで拭い取ったんだな。賢いやつだ。あっ、ドアノブの鑑定も済んだのなら、このドアを開けてもいいかい?」
あわてて鑑識官が制止するも間に合わず、警部がおもむろにドアを開けると、部屋の奥から小さな犬が大きな声で立て続けに吠え立てた。真っ白いポメラニアンで、首には飼い主の趣味だろうか、チェックの入った蝶ネクタイを巻いている。
「被害者が飼っていた犬です。女性の一人暮らしですから、用心のために飼っていたのでしょうが、ともかくうるさく吠え立てるので、鑑識が終わった部屋に押し込めておいたのです。」
「番犬としては申し分ない犬だな。でも、これで一つ分かったことがある。昨夜はこの犬が吠えなかったのだから、犯人は顔見知りの可能性が高いな。」
「では、さっそく彼女の交友関係を中心に捜査を進めますか。」
「いや、むしろこの犬の交友関係から調べた方が早いかも知れん。犯人は昨夜、この部屋の指紋を全部拭き消すことができたのだから、以前に来たことはないのだろう。となると、外でこの犬とも会っている可能性が高い。まず、犬の散歩のルートからあたってみようか。」
「分かりました。警部、他には?」
「そうだな、こいつの好きな物、ドッグフードも調べておくか。手なずけるにはそいつが一番だからな。ドッグフードをいつも買うのに使っている店、かかりつけの獣医がいたらそこも調べてくれ。こういう室内犬は育ちが良さそうだから、ペットショップで買ってくるものなんだろう?じゃあ、そこもあたっとく必要があるな。そうそう、犬の指紋も採っておいてくれよ。」
「犬の指紋ですか?分かりました。」

「今回の事件は、割と早く片が付きましたね。」
事件解決の祝杯を、と警部に誘われた私は、警部の行きつけの店でビールをごちそうになっていた。話題は自然と事件のことになる。
「まあ、物証が出たからな。頭を使うやつほど、証拠が出ると脆いものだ。」
「そうですね、やっぱり決め手は犬の指紋でしたね。」
冷たいビールを喉へと通しながら、事件のことを思い返す。犯人は警部の読み通り、犬の散歩で彼女と知り合った会社勤めの男だった。彼女との接点はそこしかなく、現場の証拠さえ消してしまえば疑われる心配もない。冷静に計算された筋書きに食い違いが生じたのは、犬の蝶ネクタイから出た男の指紋だった。首輪を巻かれた散歩の時にしか会ったことがないはずの犬の“室内着”から指紋が検出されたことを指摘すると、男は蒼白になり、ほどなくして自らの犯行を認めた。
「でも、犯人は本当に犬好きだったようですね。犬を吠えさせないことは成功させたわけですから。でも、可愛がっていたから指紋を残すことになったのか。」
「うまく手なずけたつもりでも、思わぬところで仇を返されることもあるものだしな。うちの娘なんか少し甘い顔をすると……。」
そう言いながら、警部の頬が自然と緩んだ。

(2005.1.21)
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2005年09月18日

靴のセールスマン

若い靴のセールスマンが、南の島に派遣されました。
セールスマンは意気揚々と船に乗って島に向かいます。
まだ未開の島。我が社の新しいデザインの靴にみんな夢中になるでしょう。
期待に胸をふくらませているうちに、船は島に着きました。
ところが、島の人々を見てセールスマンはびっくりしました。
みんな靴を履いていないのです!
セールスマンは走り出します。
そして、船に戻って、大急ぎで本社に打電しました。
「この島では靴は一足も売れません。誰も靴を履いていません!」

若い靴のセールスマンが、南の島に派遣されました。
セールスマンは意気揚々と船に乗って島に向かいます。
まだ未開の島。我が社の新しいデザインの靴にみんな夢中になるでしょう。
期待に胸をふくらませているうちに、船は島に着きました。
ところが、島の人々を見てセールスマンはびっくりしました。
みんな靴を履いていないのです!
セールスマンは走り出します。
靴を投げ飛ばし、靴下をはね飛ばし、鞄もどこかへ放り投げてしまいました。
真っ白な砂浜に足跡を残しながら日光を顔一杯に浴びて走り、そして仰向けにひっくり返りま
す。
「裸足が気持ちいい島だー!」

(2004.4.17)
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2005年07月08日

星に願いを

 流れ星が消える前に願いを3度唱えれば、その願いが成就するという。
 そんなことはとても無理だと思いつつも、サトシは今日も学校からの帰り道、日が暮れた空を眺めていた。来週には、ここから遠く離れた地方都市への引っ越しが決まっている。父親の仕事の関係で、既に引っ越しには慣れっこになっていた。しかし、今回は珍しくこの町に長くいたせいか、いつのまにか離れたくないという気持が強くなっていた。
 サトシはこの町に越してきてから、担任の勧めもあり、バレーボールを始めた。担任が部活の顧問だったので、試合に出場できるだけの部員を揃えるためにサトシを誘ったのだが、これが意外にもサトシに合っていたらしい。いつしか、セッターとしてチームの要を担うまでになっていた。
 それだけに、今度の引っ越しを告げたとき、みんなの落胆は大きかった。さし当たって来月から始まる県大会の予選に必要な部員をどう補充するかというだけの問題ではない。今まで作り上げてきたチームの連携や一体感、そしてサトシが加わって生まれていた独特な雰囲気といったものがすべて失われてしまうのだ。サトシはコートに立つと後ろを振り返らなくても、今は誰がどこにいるのか分かったが、このメンバーでなかったらそこまで部活に入れ込まなかったのではないか、と思う。

 しかし、もはや引っ越しは決まったことである。今さらサトシにできることと言ったら、引っ越しがなくなることを祈るぐらいしかないのだ。そんな訳で、星に願いを託そうと夜空を見上げているサトシの目の前に、大きな流れ星が一筋、漆黒の空をゆっくりと走っていくのが見えた。サトシは慌てて両の手を合わせると口の中で小さく3度つぶやく。
「引っ越しがなくなりますように、引っ越しがなくなりますように……。」
流れ星はおよそ0.6秒ほどで燃え尽きるという。そんな、短い間にサトシが願いを唱え終わるはずもないのだが、何故かその願いは聞き届けられた。
 サトシが転居する予定だった都市に巨大な隕石が飛来し、都市は灰燼に帰したのである。

(04.04.30)
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2005年07月03日

バンブーデコレーション

 「オー、アレハナンデスカ?」
ジェームズが駅前の派出所の方を指さしながら、珍しいものを見つけた時の嬉しそうな声を上げた。その指先には七夕の笹飾りがあった。
「七夕飾りだよ。もうすぐ七夕だからね。」
派出所の前に飾ってある笹に向かって歩きながら、ジェームズに七夕の話をかいつまんで教えてやる。彦星と織り姫が離ればなれになったいきさつや、年に一度の取り決めなどを。
 しかし、ジェームズの日本語力では私の話がどこまで分かったか。話の途中で珍しそうに吊された短冊を読み始めた様子から、よく分からなかったのではないかと思う。短冊は子供が書いたものらしく、ほとんどが平仮名で書いてあり、こちらはジェームズでも読めるようだった。
「日本ノ子供タチハ、ミンナ大キナ希望ヲ持ッテイルノデスネ。」
ジェームズは盛んに感心しながら短冊を読んでいく。
「おかしやさんになれますように」
「せんそうがなくなりますように」
「おかねもちになれますように」
「おばあちゃんのびょうきがなおりますように」
子供の書くことでないか、と大げさに感心するジェームズを不思議に思いながら、悪い気はしない。
「デモ、コンナコト書イタラ、パパタチハ困ラナイノデスカ?」
「え、なぜ?」
突然聞かれても、ジェームズのとまどいが分からない。まさか、ひょっとして……。
違う、七夕はクリスマスとは違うんだ、ジェームズ!

(2004.7.8)
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2005年04月16日

用心棒の意地

 商家の手代が、数人のちんぴらに取り囲まれている。
「佐吉、悪いことは言わねぇ。その手の荷物、こっちに渡した方が身のためだぞ。」
ちんぴらの一人が、がたがたと震えている佐吉から小さな風呂敷を掴み取る。
「おや、やけに軽いな。この中身は紀州藩に献上する酒のはず・・・。や、佐吉、たばかったな!」
振り上げた男の手を、どこからともなく石が飛んできて打ち据えた。
「いてぇ、なにしやがる。」
振り返った男の前に、2人の侍が現れる。1人は藍の着流しに身を包み、端整な顔立ちをした若者。そして、もう1人は絣の着物に袴をはき、骨太な顔立ちをした壮年の美男。
「おぬしらの欲しがっている物なら、番頭が既に紀州藩の倉に納めてある。」
壮年の男が涼しい顔で告げる。「野郎、何ぬかしやがる!」「ただで済むと思うなよ!」ちんぴらが口々に叫び、いきり立つ。きりっと睨みをきかせ、大刀にそっと手をかける若者。依然懐手のまま、どこに目の焦点を落とすでもなく悠然と構える壮年の男。ちんぴらが、ゆっくりと二人を囲み込むように広がりながら、その間合いを縮める。
「カットー!」
ここで、撮影所に張りつめた空気を崩す、監督の声が響いた。今は、人気時代劇「旗本二人旅」の撮影中である。

「いやー、よかったね。古賀君の立ち回り。あれじゃ、僕でも敵わないな。」
殺陣師の平沼さんがお世辞を言うと、ちんぴらとのタテを演じ終えたばかりの若者侍は照れて笑った。平沼さんも平沼さんである。古賀の立ち回りは素人目にもひどいものだった。一歩踏み出すごとに腰が踊り、目線も刀の切っ先を追うばかりで相手の所作など眼中にないのが丸分かりである。結局のところ、古賀は人気だけなのだ。
 それに比べて俺は、と思う。剣道のキャリアは既に二十年近い。それ以上に長い毎日、欠かさず木刀を振って鍛錬を怠らず、もはや道場でも師範代の腕前だ。しかし、役者稼業は鳴かず飛ばずで三十五才、たまに来る仕事もすっかり悪役が板に付いてしまった。今回も、悪行三昧の田原屋の用心棒として出ていく自分が情けない。

「シーン12の3、テイク1、スタート。」
助監督のカチンコの合図で、俺が本作で唯一、殺陣を演じるシーンの撮影が始まった。巨漢の田原屋に伴われてカメラのアングルに落ち着く。
「先生、ここはひとつお願いします。」
田原屋の決まりぜりふに俺は「おう」と軽く答えると、古賀の前に立ちはだかった。両足を肩幅より少し狭く開き、半身に構えて右手をそっと腰の刀に添える。このまま、前進して古賀を追いつめながら居合いのように刀を抜くが、その刀を古賀が躱しながら返す刀で俺をざっぱりと斬る、というのが筋立てである。
 古賀に向かって睨みをきかせると、俺は台本通りに手を刀に添えたまま、腰を落とし摺り足で進んだ。古賀と目があった。すると、何を慌てたのか古賀は手から大刀を取り落とした。まさかと思ったが、古賀の目に怯えの色が浮かぶのを見逃さない。しかし、勝ち気な性格が幸いしたのか、古賀はすぐ脇差しに手を添えると負けずに俺をにらみ返した。おもしろい。少しもんでやるか、と俺も遠慮なく歩を進める。一歩一歩、近づくごとに俺が勝ちを譲る気がないと悟ったように、古賀は腰が引けていった。そのザマを見て、俺は開き直った。もう少し骨があれば台本通りに進めることもできたが、こうなっては仕方ないな、と。
 古賀との勝負はあっけなく着いた。面前に立った俺に古賀はもはや戦意なく、刀の柄を腹部に軽く当てただけで腰砕けになって倒れた。そして、俺がゆっくりと大刀を抜くと、古賀は慌てて立ち上がり、セットの裏へと逃げていった。
 次は、と俺は辺りを見回した。壮年の侍、桜井が田原屋を追いつめているのが見える。
「待たれい、新見殿。尋常な勝負といたそう。」
桜井に役名で、時代がかって大げさに声をかけると、間合いを一気に縮める。桜井も俺の趣向が分かったらしく、田原屋を置き去りに俺と対峙した。しかし、やぁ、と軽くかけ声をかけて対向し目を合わせたときから、実力の差は明白だった。気合いと共に打ち込んできた桜井の一撃を、体を軽く左に入れ替えてやり過ごす。頭上より脅かすように構える桜井の気迫に対しても、俺は大刀を右手にだらりとぶら下げているだけで構えすら作らない。苛立った桜井が大上段から渾身の力を込めて一気に振り下ろす。再び体を入れ替えてそれを躱した俺は、大きく空を切った桜井の刀を軽く右足で蹴っていなした。怒りに駆られた桜井は、肩で大きく息をしながら矢継ぎ早に刀を振り回す。軽く刀身を合わせてその動きを止めた俺は、そのまますっと後ろに下がった。支えを失ったように桜井は前のめりになる。俺は、下を向いた桜井の刀に向かって自分の刀を一気に振り下ろした。カーン、高い音を残して桜井の刀が半ばから折れる。呆然と立ちすくむ桜井に向かって、俺はゆっくり青眼に刀を構えた。桜井は折れた刀を放り出すと、セットから飛び出した。
「カットだ。ばかもの、カットー!」
我に返った監督が慌てて声を上げる。助監督が若侍を探しにセットの裏へ駆けていった。
「ふふふ、やはり先生は頼りになりますな。」
俺と同じで悪役が板についてしまった田原屋が、不適な笑いを浮かべながら、俺にねぎらいの言葉をかけた。

(2004.6.12)
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2005年04月09日

右巻きのつむじ

 昼休み、机に突っ伏してうたた寝していると、後ろから同僚の佐々木の笑い声がした。
「なんだ、お前ら。頭のつむじが逆向きになっているぞ。」
そんな、笑うほどのことじゃないだろう、と急に起こされて不機嫌なまま頭を上げると、となりで寝ていた与田もぼんやりとした顔をして起きあがってくる。俺のつむじは右巻き、与田のつむじが左巻き、と言うことらしい。
 俺達の機嫌などお構いなしに、佐々木はみんなのつむじの向きを数えはじめた。うちの課員は10人いるが、ちょうど左右半々であることが分かったところで、佐々木は新聞を読んでいた課長に声をかけた。
「課長、課長の頭のつむじは右巻きですか?左巻きですか?」
課長は新聞を下ろして少し考え、答えた。
「えーと、確か右巻きにしたはずだけど・・・。」
何気なく頭に伸ばした課長の手の下で、わずかに課長の頭髪がズレたような気がして、俺達は凍りついた。

(2004.6.16)
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2005年04月02日

不死鳥

 それは、一枚の提案書から始まった。書面の上部に、提案プロジェクトの名前が大きく書かれているのが見える。その名は「フェニックス・プロジェクト」。

第1日目
 二人の白衣を着た研究員が実験机の上に電子レンジを一回り大きくしたぐらいの装置をセットした。一人が、計器類を確かめながらスイッチを入れる。ヴゥーンと小さな音を立てて小さく振動しながら、装置が穏やかに起動した。しばらくして、一人の研究員が腕時計を見て「もう、いいはずだ」ともう一人の研究員に声を掛けると、装置の側面の扉を開いた。中には一つの鶏卵が入っていた。研究員は満足したように頷くと、再び扉を閉めた。

第20日目
 装置の中の鶏卵が孵化した。卵の上部に小さな穴が開けられてから、約3時間後のことである。雛は自分が開けた穴を嘴で徐々に広げていくと、最後に伸び上がるように全身を広げ、殻を二つに裂いてその姿を現した。「始まったな」研究員は全身が濡れた雛の姿に目を遣りながら、感慨深げに小さくつぶやいた。

第23日目
 雛に餌やりが始まった。雛は生まれてから直ぐに大きなケージに移され、温湿度管理の行き届いた部屋で飼育されている。世話は3人の研究員が交代で行っている。「キリストの誕生も三賢者が立ち会ったことだし」研究員の一人が成果への期待を滲ませて、陽気に笑う。

約6週間後
 孵化当初は黄色の毛に覆われていた雛の体に、次第につやのある羽が伸び始める。まだシルエットは雛のものだが、嘴も少しずつ長く鋭くなり、可愛さから逞しさへと変容していくのが分かる。時折、短い羽をばたつかせながら空を見上げる仕草をするが、勿論大空に羽ばたく力はこの雛にはない。

約3ヶ月後
 見かけ上はかなり成鶏に近くなり、頭上の小さなトサカから雌であることが分かる。数日前、ケージの中に4羽の雄鶏が入れられた。交配の準備が始まったのだ。この雄鶏の中から彼女との相性を見て、慎重に交配相手を選別する。「ここ数日、雄鶏をケージ内に導入した事による環境変化からストレス傾向にあったが、無事順応したようである」仲良く餌をついばむ5羽の鶏を観ながら、研究員はそう日誌に記した。

約7ヶ月後
 産卵のニュースは、またたく間に研究所内に広がった。実物をひとめ見ようと押しかけた研究員達の好奇の視線に晒される中で、産み落とされた卵に対してCTスキャンなどの検査が順次、行われていった。いずれの検査項目にも、問題は見られない。最後に、卵は始めにプロジェクトで使用された電子レンジより一回り大きい装置の前に置かれた。装置は既に作動しており、ヴゥーンという小さく唸る音がしている。卵を運んできた研究員が計器をチェックしたあと、側面の扉を開けて中に卵を入れた。扉を閉めてスイッチを入れ、腕時計に目を落とす。装置がひときわ大きく唸り声を上げたのを確認すると、満足げに装置の扉に手を伸ばした。彼にはプロジェクトの成功は既に分かっていたのだから。

 再び、提案書の書面を眺めてみよう。その計画の概要にはこう書かれている。「――本プロジェクトは、時間軸方向における物質転送装置(以下、タイムマシンと表記)を用いて鶏が自分自身を生む状況を作り出すことで、閉じられた時間の輪の範囲内であるが永遠に続く生命体の存在を可能にし、物理法則における普遍性を検証することを目的とする……」

(2004.11.15)
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2005年03月26日

疑問

 世界的にも脳神経学者として著名な神田博士が、詰めかけた記者たちを前に第一声をあげた。
「この度、私は消したい記憶を消去することができる装置の開発に成功しました。」
しかし、会場は静まりかえったまま。たまらず、若い記者が立ち上がって質問を浴びせる。
「博士、すばらしい発明だと思います。この場で、その装置を使用することはできるのですか?」
にわかに、会場中に笑い声が広がる。博士までも哄笑しながら、記者に問いかける。
「君がその質問をするのは3度目だが、もう一度この装置の効果を確かめてみるかね?」

(2004.5.17)
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2005年02月28日

マジシャン

 僕の叔父さんはマジシャンだ。大きなステージの上で裾の広がったジャケットを着て、涼しい顔で白いハンカチから鳩を出したり、目にもとまらぬ早業で縄抜けをして見せたりする。だけど、家に来たときの叔父さんは平凡そのものだ。「はい、お土産っ」て、渡される箱に入っているチョコレートケーキが箱より大きいなんてことは一度もないし、かたわらに置いた帽子をひっくり返してみたら赤い眼のウサギがうずくまっていたなんてこともない。だから、この間、叔父さんに言ってみたんだ。
「叔父さんの手品にはタネが隠してあるんでしょ。この前、お父さんが教えてくれたんだ。」
「ははは、裕ちゃんにはかなわないな。それは裕ちゃんと叔父さん2人だけの秘密、ってことにしといてくれよ。」
「いいよ。でも、もしもみんなにタネがばれたらどうするの。」
「その時は、みんなに騙しててごめんなさいって謝るしかないなぁ。」
叔父さんは笑ってそう答えたけど、ほんとに謝っちゃうのかな。いざとなったら、本当にステッキを空中に消したり、トランプを手から出しちゃうんじゃないかな、と僕は思ったんだ。ステージの上では、叔父さんはマジシャンなのだから。

 僕の住む町で叔父さんが手品をするときには、叔父さんは必ずうちの家に泊まり、ショーのチケットを僕にくれる。そして、全身が映る大きな鏡のある部屋に入り
「裕ちゃん、これから大事な手品の練習をするから、ジャマしないでくれよ。」
って、僕を部屋から追い出すんだ。いつもは、言われたとおり遊びに行ったりするんだけど、昨日はこっそり隣の部屋から何をやっているのか覗いていた。だから、今、ステージの上で太い鎖に何重にも縛られている叔父さんの手が何を探しているのか知っているのさ。僕は右のポケットからはみ出しそうな、大きな南京錠にそっと触れる。
「だめだよ、叔父さん。タネのある錠前は普通のやつと取り替えといたからね。本当の手品を見せてね。」
僕は叔父さんが鎖を外すことができなくて、最後にはみんなに謝っちゃうんじゃないかと少し不安だったけど、でも叔父さんならきっと外してくれると信じている。マジシャンがステージの上で謝るところなんて想像できない。
 だから僕は、叔父さんが入った大きな水槽を覆っていたカーテンが外されたとき、まだ水中にいた叔父さんに大きく手を振って「さあ、本気をみせてよ」って合図したんだ。

(2004.05.11)
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2005年02月13日

白い封筒

 宛名のない手紙が届いた。
どうやって?
 切手の上に消印が押してあるから、郵便屋が配達してきたようだ。
 白い封筒。消印が封筒にはみ出しているから使用済み切手を後から貼ったものではないし、もちろん使用済みの封筒から作ったものではない。目を近づけてみても、宛名が書かれていた後はまったく見えない。
「どこから、こんなものが送られてきたのだろうか。」
ふっと、2週間前に別れた美咲のことが頭をよぎった。お互い気安くなりすぎて、そろそろ相手の悪いところも見え始めたと感じた頃だった。今では思い出せないような小さなことでケンカになり、売り言葉に買い言葉、それで二人の関係は突然終わってしまった。誰から来たのかよく分からない手紙を見て、すぐに美咲を連想してしまうのは、まだ未練があるからなのか。
 でも、たとえ美咲だって、宛先も書かず手紙を届けることなどできるはずがない。なにげなく裏返すと、ここの住所と自分の名前が見覚えのある筆跡で書かれている。
「なんだ、宛先書き忘れてこの住所に戻って来ただけか。」
俺は何を期待していたんだろう。

(2004.6.25)
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2005年02月12日

言霊のゆくえ

 日本人は古来より言霊の存在を信じてきていたと言われる。言霊、つまり書いた言葉や口にした言葉には自ずから神威が宿り、その願い・呪い・想いがやがて成就するという考え。時に人が洩らす感嘆でさえ、そこに神の業を感じるが為であるという。
 この信仰は、単なる迷信とは言えないようだ。実は、とある地方の山奥に言霊の精霊が今も住んでいる。精霊は人が書いた書物や手紙の文字に宿っている、その人が残した気魂のかけらを吸い取ることで腹を満たし、生き長らえている。気魂を吸われた文字はそれまで感じられていた生気をたちどころに失い、陳腐でくだらない文章へと変わってしまうそうだ。自分が書いた古い文章をある時読み返してみて、どうしてこんなものを書いてしまったのだろうかという悔恨に苛まれることはないだろうか。おそらく、それも精霊の仕業なのだ。
 言霊の精霊の周りは人が書いたもので溢れているから、彼らも全ての文書の気魂を吸い取ろうとは思っていない。時には気魂があまりに多く込められていて、吸いきれないこともある。そんな、いつまでも気魂が宿っている文章に人は魅了されたり、まれにその願いが天の力によって叶えられたりしているようである。
 言霊の精霊にも、それぞれ文章の好みがある。例えば、山の西側に住んでいるハイゾは人を褒める文章が好きだ。美しい、賢い、勇気ある、気前がいい。溢れる賛美の想いを安っぽいをお世辞に変えてしまう。セマゾは怒りの言葉をただの遠吠えに変えることが一番好きだ。このピリッとくる気魂の尖った感じがいいんだ、とセマゾは吸いながら言う。タリゾは「古来から伝わる名文」というのが堪らないという。彼がいなければ百年も経たない文章を現代人が古くさいと感じることもなかったろうし、百人一首が国技にもなっていたことだろう。でも、サンゾほど意地の悪いやつはいないと皆が言う。サンゾは人の書いたラブレターに目がないのだ。しかも、相当なせっかち。時々、相手に渡す前のラブレターから気魂を吸い取ってしまい、哀れな失恋を増やしてしまう。

 今日は年に一度開かれる、言霊の精霊たちの集会の日である。山頂付近の広場に、この山に住む数百の精霊たちが集まった。長老が第一の議題を告げる。
「ケイゾ、あの文字のことを調査したそうじゃが、結果を報告してはくれないか。」
精霊たちがざわめく。昨年より問題になっていた、最近ものすごい早さで増えていくあの文字のことに違いない。長老の横に座っていたケイゾは一歩前へ出て報告を始めた。
「あれは人間たちが“数字”と読んでいた文字でした。基本的な使い方は物の数を表すのに使います。つがいの鹿がいたら“鹿が2匹”と、こういう具合です。」
「では、その“数字”とやらが急に増えだしたのはどういう訳じゃ。時には、“数字”しか書いていない事だってあるぞ。」
「それは人間が物の数を数えることが多くなったことが原因のようです。さらに、物ではないものまで数え始めたようです。例えば、人は働いた分をお金という“数字”で受け取るようになりました。そのお金を数に応じて物と交換したり、他の人が働いた分と交換したりすることができるのです。」
「では、“数字”が多い方が人は嬉しいんじゃな。」
精霊たちから小さな歓声が起こった。嬉しい言葉は甘い味がするのだ。数字が増えることは甘党の精霊には喜ばしいことなのだろう。
「いいえ、お金の場合、受け取る人は“数字”が多い方が嬉しくなりますが、渡す人は“数字”が多いと悲しくなったり、辛くなったりします。」
精霊たちに困惑の表情が広がった。悲しい文章は塩辛く感じるし、辛い文章はそれこそ苦い味がするのだ。
「うーむ、それでは口にするまでどんな味がするのかさっぱり分からないようじゃう……」
長老もこの問題には、ただ困惑するしかないようだった。

(2004.7.23)
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2005年02月11日

火星探査

 火星に降り立った宇宙飛行士を迎えたのは、赤茶けた大地だけだった。
「やっぱりな。」
年の一番若いグレアム航海士が、つい本音を口にする。
「火星に来る前から、こんな所だって事は分かっていたんだ。赤い、赤い、赤い、ただそれだけだ!」
「船長、まずいですね。これだけ何もないと、テレビ映りもサマにならないでしょう。今後の宇宙開発の予算にも影響することになりかねない・・。」
ここまで来て弱気になったハンセン機関士をチョン船長がたしなめる。
「大丈夫だ。こんな事もあろうかと、私はちゃんと準備してきている。探査船の格納庫からボックスA-9を持ってきてくれ。」
グレアム航海士が運んできたボックスを開けると、中にはタコの入った水槽があった。」
「船長、まさかそれを火星人というつもりでは・・・。」
「ハンセン君、カメラをこっちに向けて構えてくれ。グレアム君は水槽のタコを出して、人類の記念となる握手をするんだ。大丈夫、ヒューストンにはハイライトシーンを編集して使うということで、すでに話は着いている。」
グレアム航海士が困惑しながら水槽の蓋を外すと、タコは大きく膨らみ弾け飛んだ。
 火星の気圧は地球の百分の一もない。

(2004.10.23)
posted by 貴 at 17:31 | Comment(3) | TrackBack(0) | 小説
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