2005年11月12日

恋人

 ドアのベルが鳴ったのは日曜のの昼の2時を回ったところだった。とても天気のいい休日、しかし、特に何もすることのない優子はフローティングの床に膝を抱えながら坐り、南西向きの窓から射し込んでくる日の影を眺めながら、そろそろこの見慣れたアパートを引っ越そうかなどと、ぼんやりと考えていた時だった。2度目のベルに促されて、優子はアパートのドアを開けた。戸口には2人のスーツを着た男が立っていた。
「お休みのところに済みません。中央署の者ですが、大村優子さんですね。」
少し年配の男が、懐から黒い警察手帳を取り出しながら質問した。「はい」と小さく答えながら、優子は自分の鼓動が速くなっていくのを感じた。もちろん、優子には警察が自分の家に訊ねて来る理由など思い当たらない。
「小島篤志さんは、ここにしばらく住んでいましたよね。」
あっ、と優子は小さな声を上げそうになった。2人の刑事が互いの顔を見合わせる。優子の表情の変化を見ただけで、篤志が1ヶ月前までこの部屋にいたと確信したのだろう。
「でも、あの人はもうここにはいません。」
「分かっています。」
年配の刑事が当然という口調で答えた。
「それで、小島篤志が指定暴力団、道和会の構成員だったことはご存じですか。」
えっ、と優子は心の中でつぶやいた。知らない、篤志は、あの人は自分の仕事はガードマンだと言っていた。おかしな時間に仕事に行ったり、場所もあちこち変わっていたりしたようだけど、ガードマンにはよくあることだと聞かされていた。
「でも、あの人はここにはいないのよ。私にはもう関係ないことだわ。」
「大村さん、小島は3週間前事件を起こしたんです。敵対する双葉組幹部の乗った車に発砲して、姿をくらましました。新聞にも載っていましたが、読みませんでしたか。」
優子が「ええ……」と小さな声で返答するのを待たずに、刑事は優子の目を見据えるように覗き込むと、堅い口調で話を続ける。
「それでは、たまたま通りがかった中学生が逃走する車に巻き込まれて足に大きな怪我をしたのもご存じないですね。幸い、怪我は軽いそうですが、その時の傷は一生消えないそうです。」
「そうですか……。」
「分かっているのですか。小島は今、非常に危険な状態なのです。拳銃と、それにまだ弾丸もいくらか所持していると思われます。もし、小島がここに現れたらすぐに中央署にご連絡下さい。いいですね。」
刑事はそう言うと、優子が「はい……」と返事をするのを待って自分の名刺を渡し、篤志が現れたらこの電話番号に連絡するようにと確認して出ていった。

 優子は玄関のドアを閉めながら、刑事の言っていたことを思い返していた。「篤志は、事件を起こして逃げてたんだ。」篤志が突然いなくなった日のことを思い出す。あの日、あの人は何か気にくわない様子で、神経質そうにテレビを見ていた。遅番だという篤志を残して会社に行った優子が夜、アパートに帰った時には篤志は部屋におらず、そして2度と帰ってくることもなかった。あの後、数日続いた困惑や憔悴、そして腹立たしさも、今はやっと癒えたところだったのに。
 優子は、再び刑事が来る前と同じように膝を抱えて坐った。刑事が言うように、果たして篤志はここに現れるのだろうか。でも、刑事の話によると事件を起こしたのは篤志がこの部屋を出て行って1週間後のことのようだ。出ていったのと事件とは何の関わりもないような気がした。だけど、優子は篤志がこの部屋に再びやって来るような気もする。その時、私はさっきの刑事に通報するのだろうか?それとも……。先ほどまで、同じ場所に坐ってこの部屋を引っ越そうかと思案していたことなど、優子はすっかり忘れていた。

(2005.1.25)

この作品は超短編小説会の2005年1月のタイトルに参加しています。
条件:タイトルが『恋人』


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