2005年09月03日

焼き肉定食200元

 上海の喧噪から離れるには程よいあたり、水郷として知られた烏鎮の近くにその評判の店はあった。定食のスタイルで焼き肉を出すという、飯店としては一風変わった趣向が中国人には受けているのかも知れない。ともかく、私が訪れたその日は昼食時もとっくに過ぎているというのに店内は満席の状態だった。
 運良く空いた席に腰を下ろすと、ビールと看板料理の焼き肉定食を頼んだ。アルコールを注文するには日がまだ高いかなとも思ったが、ここの焼き肉はビールと一緒に食べると格別だという確かな情報を仕入れてわざわざこんな片田舎まで来たのである。そうでなくても連日の暑さでバテ気味のこの頃だ。ビールを潤滑油に焼き肉でスタミナをつけなくてはやりきれない。
 冷えたビールを一口飲んでようやく人心地つくと、ゆっくりと店内を見回した。石造りのそれなりに古そうな造りで、窓が小さいため店内は少し薄暗い。6人がけぐらいの大きさの木製の丸テーブルが10脚ほどあり、どのテーブルもほぼうまっているようだ。大方の客は一腕のご飯と肉の一皿、そして何かのスープ、つまり例の焼き肉定食を注文している。丸テーブルに大皿を並べるのふつうのはずの中国では、確かにこの風景は変わっているかも知れない。だけど、私が少し変わっているかなと感じたのはむしろ彼らに、外の明るい日差しを避けるようにして寄り集まりながら、それぞれは黙々と自分の皿の焼き肉を食べているような印象を感じてしまったことだった。
 そんなことをぼんやり思いながらビールを飲んでいると、
「ここ、空いてるよな」
と言いながら、男が私の隣に座った。男はウェイターに向かって片手を挙げて合図すると、ウェイターは軽くお辞儀をするような動作をした。どうやら、常連らしい。やがて、ウェイターが私に焼き肉定食を、男に黄酒とつまみを一皿運んできた。その時、男の耳元でウェイターがささやく声が聞こえた。
「店長から、焼き肉もどうかと聞くように言われているのですが」
「馬鹿」
男はいかにも、とんでもないことを言うなというような顔でウェイターを見た。
「二度とそんなこと聞くなと弟に言っとけ」
苦々しい顔をしながら、男はつまみの茴香豆を口に放り込んだ。
 ちょっとしたケチをつけられた形になった焼き肉定食だが、評判通り味は格別だった。いわゆる、これはトントロなのだろう。豚肉の角煮以上にとろけるような脂がのった肉は、レモンか何か少し酸っぱい味付けがされており、爽やかな肉の甘さがあった。惜しむべきはその量である。私は一枚一枚をじっくり味わいながら、ビールと共にその食感も堪能した。
 そんな私の態度が気に入らなかったのか、隣に座った男が私に
「どうだ、弟の焼き肉はうまいか」
と軽蔑するように言った。私は、肉につられてテンポよく飲んだビールの酔いもあって
「ええ、おいしいですよ。あなたも食べればいいのに」
と言い返すように答えた。男はしばらく黙っていた。そして、おもむろに
「弟も俺もこの村の出身なのだが、この村にはちょっとした契約の儀式があってね」
と話始めた。
 男の話は、契約というよりも占いと言えるものだった。この村では何か困ったことがあると堕天使コリンズへ解決の祈祷を行う。その代償としてコリンズの求めた物を差し出さなくてはならない。これが契約だ。儀式は文字盤を通じて行う。清水で身を清めた祈願者が中国象棋の駒のような丸く平たい石に指を乗せ祈祷内容を口で唱えると、石が勝手に文字盤の上を滑り出し、コリンズからの返答を伝えるという。そう、これは『コックリさん』と呼ばれる占いと同じだ。『コックリさん』は横浜に停泊していた船乗りの暇つぶしから始まったという話を聞いたことがあるが、この村のコリンズ某も上海あたりで船乗りが思いついたものかも知れない。
 男は真面目な顔でコリンズ占いのことを話し終えると、茴香豆を一粒食べ、薄笑いを浮かべて私の顔を見た。ここからが本題だ、と言うことらしい。
「2年前、弟のこの店は潰れかけていたんだ。俺もいくらか金を貸したが、そんな額では店を畳む足しにもならないほど、ひどい有様だった
「ところがな、ある日を境に急に店の方がうまく行くようになった。それまで、日に二、三人しか来なかった客がいつでも満席、今のこの店の状態だ。商売に余裕が出たからか、弟の顔も前より明るくなったし、恰幅もよくなってきた。以前の弟から見たら、まるで別人みたいだ!前の弟は好きなコックの仕事をしているよりも、足りない金を勘定している時間の方が長かったぐらいだからな。」
男は片手をあげてウェイターの注意を引くと、空になった黄酒のグラスを指さした。
「繁盛するようになったのは契約のおかげだと言うんですか?」
話が長くなりそうなので結論だけを聞こうと私が口を挟むと、男はまあ待てと言うように両手を広げながら話を続けた。
「急に客が入るようになるなんておかしな話だろ?俺もそう思って弟に聞いてみた。そうしたら、あいつは始めのうちは自分の腕が認められたからだとか誤魔化していたが、最後はに『兄さん、実はコリンズと契約をしたんですよ』と白状したんだ
「俺は何を馬鹿なことをしたんだと思ったよ。安易に堕天使と契約したら待っているのは破滅だけだと、祖父さんもいっていたのに。それを、あいつは……浅はかだ。」
男はしばらく空を睨むようにして黙った。そして、小さく溜息をつくと、再び話し始めた。
「俺は弟に『それで、代償に堕天使は何を要求したんだ』って聞いたんだ。そうしたら、弟はふいに笑い出して言うんだ。『兄さん、見返りは魂か何かだと思っているんでしょ?それが変な要求なんですよ。ふふふ、半年に1グラムずつ痩せろって言うんです。』確かに変な要求だろ?半年に1グラムなら、あと百年生きても200グラムにしかならない。要は、太るなっていうことなんだろうなと思った。
「でも、俺は一つ気になることがあった。ここのところ、商売が順調になってから弟は見た目でも分かるほど太って恰幅がよくなっているんだ。『おい、半年まではまだ時間があるのかも知れないが、少しは痩せる努力をした方がいいんじゃないか』俺は早めに言っておくに越したことはないと思い、弟に忠告した。そうしたら、あいつは急に泣きそうな顔になり『実は痩せる努力ならとっくにやっているんです。もう2週間近く何も食べてないし、昼間は料理場で働きづめだ。朝晩にジョギングも始めたのに、体重は日に日に増えていくんだ。しかも、増える量もだんだん多くなり、今日なんか朝からすでに2kgも太っているんです。』と言った。俺が『最初の半年目はいつ来るんだ』と聞くと『2ヶ月後です』と答えた。俺はこのとき、初めて堕天使の要求した代償の本当の意味を知ったと思った。弟の苦しみは一生続くんだ。」
 男は黄酒のグラスを手に取ると、ゆっくりと口に運んだ。そんな動作をぼんやり眺めながら、私は
「でも、店もこの通り繁盛しているし、弟さんも元気に働いているんでしょ。堕天使との契約もうまくやれば悪い結果にはならなかった、ということではないでしょうか」
と聞いた。男はグラスを置きながら私の顔を見ると
「さあな、そうかもな。でも、俺が知っているのは、弟とあの話をした翌月からこの店の看板メニューが焼き肉になった、ということだけさ。……どうだ、弟の焼き肉はうまいか?」
と、薄笑いを浮かべながら言った。

(2005.09.03)

この作品はデジタル社会塵第16回に参加しています。
条件:
 1)作中誰かの語り口で「怪談話」が入り怪談のテーマに 「火」か「水」を使うこと
 2)死に関する話がでない(当然死人はでない)
 3)舞台は日本ではない


― いかがでしたか?(さらに詳しく
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posted by 貴 | Comment(1) | TrackBack(0) | 企画もの
この記事へのコメント
評価:☆☆☆(まあまあ)
Posted by Mr.X at 2007年06月08日 18:10
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