2007年03月10日

カセイセカイ

 世の中には二つの種類の人間がいるらしい。火星に住んでいる人と、そうではない人と。それはつまり、火星に住めるのは金持ちや有名人や……要するに特別な人達で、僕みたいな平凡な人間は曇りがちな夜空を眺めてその様子を想像してみるぐらいしかない。だいたい僕にはどの星が火星なのかも分からなかった。
 印刷所で働いていた。毎日、新聞に挟む広告を束ねてはトラックに積んでいた。赤や青で派手に色づけされたチラシは人目を惹くのだろうけれど、見慣れてしまうとどれも同じように見えた。たまに感じる違いと言えば、青インクばかりを刷った日は指先が青く染まって嫌だと思うことぐらいだった。赤でも黒でも指先が染まってしまうのは変わらなかったが、青く染まるのは一番気持ちが悪かった。でも、翌朝にはそんのことなんかすっかり忘れている、その程度の違いだった。
 地球はすでに瀕死らしい。印刷所に『政治ビラ』とおかみさんが呼んでいるチラシを時々持ち込んでくるグレッグさんがそう言っていた。おかみさんは印刷所の社長の奥さんで、社長がこっそり『政治ビラ』を工場に流しているのを知っていながら黙認しているようだった。だから、僕たちもビラが流れていることは何となく仲間内でも話題にしないようにしていた。おかみさんだけは『政治ビラ』の話をした。「どこそこの印刷所で刷っていることがばれて、みんな捕まったそうよ。うちには関係ない話だけど――用心はしなくちゃね」っていう風に。
 グレッグさんは地球に革命を起こす地下活動をしている。そして、それを成功に導くためのビラを月に二回、工場に持ち込んでくる。仕上がったビラを渡すと「ありがとう」とはっきりした声で言った。僕も革命運動に誘われるんじゃないかと思っていたけど、そんなこと決してしなかった。社長はグレッグさんが火星からやって来た、と言った。火星の人達の不当な支配から地球を解放するために、恵まれた生活も何もかも棄ててやって来たんだと言った。そう思うと、グレッグさんの爽やかな声も納得できる気がした。

 「それで、行く気なの?」
手紙を読み終えたリザが、しばらく考えた後で訊いた。リザは僕より二歳上だ。彼女の身長を追い越したのは十年以上も前だけど、僕たちの関係、つまり彼女は僕より年上だという事実は相変わらず続いている。
「行ってみようと思うんだ」
僕は昨日、一晩悩んで出した結論を言った。彼女は「そう」とつぶやいて手紙を封筒に戻そうとした。その時、同封されていた『火星行き』の切符が封筒から床に落ちた。
 手紙は火星に住む弁護士からだった。奇特な実業家がいて、僕に火星での仕事の世話をしてくれるという。「もちろん、君さえよければ」と但し書きはあったが、来ないはずはないとの確信が文面には溢れていた。時々、あの星の人はこういうゲームをするらしい。噂には聞いていたがそれが本当で、しかもそれが僕に当たるとは思いもしなかった。でも、もしも当たったら……そうを考えていなかったと言えば嘘になる。でも、そんな話、人を馬鹿にしている。もし当たっても、僕が行くはずがない。手紙を受け取るまではそう思っていた。
 でも、僕達はその星についてどれだけ多くのことを知っていただろう。そこでの気候や生活、流行、楽しみ、いろんなことを知っていた。それを僕に教えたのはリザだ。だから、僕が行く気になったのも、元はと言えばリザに原因がある。
「行って、もしたいしたことない所なら、すぐに戻ってくるよ。ともかく、まずは行ってみようと思うんだ」
僕はあまり期待してないんだけどというつもりで、リザに言った。

 グレッグさんが工場にやって来たのは、僕が火星に行くという返事を弁護士に送って翌日のことだった。三日後には印刷所も辞め、次の惑星間急行で地球を離れることになっていた。これで、しばらく皆に会うこともないのだと思うと少し寂しい気持ちになる、そんな時だった。
 グレッグさんは、もう僕が火星に行くことを知っていた。当然のことだ、すでに町中の人がそのことを知っていた。僕ははしゃいでいたわけではないが、明るい声で言った。
「グレッグさん、僕が火星に住むので怒ってます?」
「なぜ、私が怒ると思うんだね」
グレッグさんは不思議そうに訊いた。
「僕はだって、グレッグさんの嫌いな火星の人になっちゃうんですよ。敵じゃないですか」
「私が火星が嫌いだって?」
グレッグさんは驚いて訊いた。
「グレッグさんは火星から来たんでしょ。社長から聞きましたよ」
僕がそう言うと、グレッグさんはちょっと困ったような顔をして
「そうか、知ってたのか」
と答えた。多分、面と向かってそのことを訊いたのは僕がはじめてだったのかも知れない。
「火星はいいところなんでしょうね。楽しみだなぁ」
なんで地球なんかに来たんですか、とは僕は言えなかった。
「昔は地球も同じだったんだよ。河はこれほど汚れていなかったし、空気も澄んでいた。農作物も収穫もこれほどひどくはなかったし、海では……」
いつもと変わらない、真面目なグレッグさんに僕は嬉しくなった。今日がグレッグさんと会う最後の日かも知れないのに、この人はいつもと何も変わらない。

 雪が降っていた。雪が……温暖化の進んだ地球ではとうに見られない光景だった。でも、本当の火星の気候では雪を降らす雲など存在し得ない。「火星の雪は作られたものなの。でも、だから地球の雪よりも綺麗なのよ」リザの言葉を僕は思い出した。
 惑星間急行を降りた僕を弁護士が待っていた。弁護士は僕に会うなり、コートにかかった雪を払い落としながら言った。「よく来たね。さっそく君のために用意した家の方に行ってみようか。気に入るといいんだが」愛想のいい人だったが、どことなく手慣れた感じがして、彼がこのゲームの胴元ではないかと思わせた。すでに彼らのゲームは始まっているような気がした。
 僕の家、いや僕があてがわれた家は間取りも広く快適だった。しかし、これぐらいの家はこの星ではたいしたことないらしく、弁護士は申し訳なさそうに行った。
「ちょっと手狭かも知れないけど、適当な物件がなくてね。時期を見てもっと大きな家に移れるよう手配するよ」
弁護士の言葉は始めはこれくらいだけど、頑張ればもっといい暮らしが出来ると言っているようにも聞こえた。到着した翌日から僕の仕事は始まった。実業家、という青年に割り当てられた仕事は地球と火星の間で輸送されている荷物の確認だった。確認といっても実際に荷物をチェックするのはロボットが行うため、僕はその結果のリストに目を通すだけだった。一日二時間も働けば、それで仕事は終わった。ここでの仕事はどれもそんな簡単なことのようだった。
 この星の人達はどことなくみんな似ていた。スタイルのいいシルエット、洗礼された顔立ち、優雅な生活。想像していた通りだった。それを可能にしていたのは、高度な整形医療やロボットなどの科学技術、そして限りない財力、つまり彼らが独占しているものだった。この星では誰も年を取らなかった。彼らの生活はまるで永遠に見えた。しかし、実際には永遠を生み出すことなど出来ない。この星でも足りないものは多かったが、それらは簡単に地球からの物資で補うことが出来た。地球は彼らの生活を永遠に循環させるために存在しているのではないかとさえ僕には思えた。

 火星に来て一年が過ぎようとしていた。この星の季節は人工的に作られたものだったから、カレンダーを見なくても気温だけで季節が一巡してきたことが分かった。昨夜、初雪が降った。それは、僕がこの星に来たあの日が近いことを気づかせた。
 この一年、僕は何をしてきたのだろう。仕事は簡単で楽だった。始めの頃に感じていたわだかまりのようなものは、いつの間にか忘れていた。彼らは結局、特別だった。僕のことなどゲームの駒はおろか、暇つぶしの対象とするすら思ってはいなかったようだ。僕は彼らの永遠を回す歯車の一つであり、つまらない仕事を毎日繰り返す機械部品の一部に過ぎなかった。
 この星にいても彼らのようにはなれない。始めから分かっていたことだが、受け入れるまでにずいぶんと時間がかかってしまった。「帰ろう、地球へ」不意に思った。リザの顔が思い浮かんだ。「火星はやっぱりいいとこだったでしょ?」いや、想像していた通りのこともあったし、そうじゃないこともあったよ。でも、ワクワクなんかしなかった。「なぜ?素晴らしい生活だったでしょ」そうだね。彼らの暮らしは優雅で快適だけど、眺めているだけなら綺麗なチラシを見ているのと変わらないよ。どうせ、僕達の手には入らないんだ。「そうね……夢なのね」夢じゃないよ、分かったんだ。この星が光ならば、その陰が僕達の現実なんだ。
 グレッグさんは何をしに地球にやって来たんだろうと、僕は思った。社長は地球を解放するためと言っていた。おかみさんもきっとそう思っている。でも――、と僕は思う。この星に来てから、この星の人達の考え方が分かってきたような気がする。この星の人達にとって大事なもの。それは、優雅で快適な彼らの暮らし。そのためなら、彼らの永遠を循環させるのに必要なら、彼らは地球の一つぐらい変えようとするのではないか。錆び付いた歯車を磨き直すように――いや、考えすぎだよね。僕はグレッグさんのいつも真面目な顔を思い浮かべながら、嫌な空想を頭の片隅へ追いやった。
 次の惑星間急行で地球へ帰ろう。この星で貯めた金はその切符でほとんど消えることになるだろうが、惜しくはなかった。帰ることは知らせずにいよう。突然帰ったときのみんなの驚く顔が楽しみだ。リザは――彼女はどんな顔をするだろう。もう、僕達は火星の話を前のようにして過ごすことはできない。それなら、今度は何の話を――きっと、僕達はもっと素晴らしい未来の話をして過ごすことだろうと思った。

(2007.3.10)


この作品はデジタル社会塵第23回に参加しています。
条件:
1)知らない人から手紙が届く
2)その差出人宛てに手紙を出す(返事を出す)
3)雪が降る


― いかがでしたか?(さらに詳しく
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posted by 貴 | Comment(1) | TrackBack(0) | 企画もの
この記事へのコメント
普通の読者として感想をば失礼いたします。

 特に山場があるわけではない。しかしどこか気になる作品だった。
 僕らが目指しているものは快適な生活であるし、現に家電や産業は進化しつづけている。しかし、その理想が現実になったならば……思考が導かれ、あぁなんか違うなぁとチクリときた。
 リザの人物像は詳しく説明されてなかったから頭の中で、身近にいつもいてくれそうな、顔立ちの綺麗なおとなしいがはっきりとものを言う感じの女性が描かれた。全体的な雰囲気と、余分な描写を省いた(?)おかげで、読者が読者自身の持っている潜在的イメージを膨らませることができたように思う。

 全体的な落ち着いた感じが好きで次々と興味深く読みすすめれたし、最後の終わり方も中々良かったです。おもしろかったです。

 
Posted by 独マサ at 2007年03月17日 20:14
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