2006年11月29日

白いクリスマス

 何でもないはずの冬の一日が、どうしてそんな大切な一日になるのだろう。私とは、いいえ、本当は私たちとは全然関係ない男が生まれただけの日なのに。私はぼんやりする頭で一生懸命考えた。こんなことを思うだけなのに、一生懸命にならなくてはいけないのだ。そして、たぶん今考えなければあとから考えることなんてもうない。だから、考えようと思うのだけど、痛タタタ、頭が脈打つようにズキズキする。

 ……また、寝てしまっていたようだ。もう昼過ぎだろうか。空が曇っているようにどんより薄暗く、時間が分からない。物音もしない、静かだ。でも時々何かがはるか上空を飛んでいく音が聞こえるような気がする。いいえ、それは私の思い違い?分からない。でも、本当はずっと何かの音が聞こえ続けていたような気がする。それは今も。……幻聴?私はそれを振り払うように右手を大きく振り回した。あ、私、腕が動くんだ。
 思い切って起きあがってみた。大丈夫、ちゃんと立てる。立ち上がってみたら、なんだ体がいつもより軽い気がする。そのまま、思い切って二三歩歩いてみた。あーだめ、ふらふら。やっぱりね。思った通りだわ、ふふふ。おかしくもないのに笑いたくなってきた。体は軽い。だけど、軽いからと言って簡単には歩けない。私は手すりにしがみつきながら、どうにか階段を下りた。いつもなら、一段とばしで降りれる階段なのに。一段下りるごとに少し頭がズキズキ痛んだ。
 一階は昨日のままのようだ。少し開いている居間の扉から、いとこの一輝が着ていたサンタの赤い服の一部が見えた。妹の美香ために一輝は昨日サンタの格好をして現れたのだ。美香ははじめ驚いたようだったけど、すぐに一輝に気づいて、プレゼントはなに?とせがんだ。私とは十も年の離れた美香。一輝は私と同い年だから、今年で二十二か。私が二階に寝に上がった後も、お父さんと飲んでいたんだろうな。酒には弱いくせに、懲りないやつ。痛タタタ、頭が痛い。
 私は居間をそっとそのままにして、ドアを開けて裸足のまま外へ出た。十二月の空気はキンキンに冷えて寒かった。空は、やはりどんよりと曇っていた。寒さでちょっと頭は冴えてきたような気がしたけど、体は相変わらず軽かった。今、何時頃なんだろう。特に空腹は感じなかったが、喉が乾いていた。だけど、別に水を飲みたいとも思わなかった。

 外は静かだった。風が時折つくる音のほかは何も聞こえないようだった。今も耳鳴りのような高い連続音が私には聞こえていたが、それはもう慣れてしまっていた。ズキズキとする頭痛も、足の裏に感じるコンクリ張りの戸口の床の冷たさも、もう慣れてしまったようだ。冬の風の寒さも、空から降ってくる白い薄片も私を家に連れ戻す理由にはならなかった。
 私は何かを待っていたのかもしれない。でも、私には分かっていた。いくら待っても誰もやって来ないことを。今朝の朝刊が配達されることはないし、いつものように飼い主を連れて駆けていく犬も今日は通らないだろう。どんよりとした雲の下はひどく静かで、遠くを歩く人の足音でさえ聞こえてきそうなのに、なにも聞こえはしない。ただ、冷たい風だけが景色を少しずつ白く染めながら、時折吹き抜けていくだけだった。
 今日はクリスマスだ。どこか遠く、はるか遠くの国ではきっと賛美歌が聞こえ、暖かなろうそくの炎が揺らいでるのことだろう。教会に人が集い、神父が厳かに説教を述べる。人は原罪を負って生まれてきた。原罪?どこかの楽園でリンゴを食べたこと?途方もない話に私はとまどいを感じる、たぶん。だってリンゴ、リンゴだよ。リンゴの一つぐらい食べてもいいじゃん。
 私の疑問に答えるかのように、再びズキズキとした頭の痛みが襲ってくる。さっきより何百倍も痛い。喉もからからだ。唇もかさかさして、ひりひりと痛み始めたけれど、私は相変わらず冷たい風の吹く戸口の前でじっと立っていた。不意に、向かいの家の二階のサッシが大きな音を立てて落ちた。ぽっかり空いた窓から隣に住むおじいさんの影が見えた気がしたけど、ただの気のせいかも知れない。いいや、たぶん見えたけど、それは崩れ落ちるように倒れたところのようだった。何にせよ、その後は相変わらず聞こえる耳鳴りと風の音しかしなかった。もう、いくら耳を澄ましても、これから正月が開けて初場所が始まっても隣の家から相撲の音が漏れてくることもない。私は原罪とかいう言葉について考えてみようと思ったけれども、もう何の言葉も思い浮かばなかった。かさかさに乾いた私の頬を涙が流れて、ひりひりとした感触を残した。もう、一輝も美香もお父さんもお母さんも、誰も起きてはこないことを私は知っていた。皆が眠ってしまったこの町で独りの孤独を感じた。でも、寂しくはなかった。この空から降ってくる白い薄片に包まれるころ、私も長い眠りに落ちることだろう。みんなの待つ、深い、二度と目覚めることのない眠りに。この空を舞う白い灰が放射能と共に私の世界を埋め尽くす頃には――きっと。

(2006.11.29)

この作品はデジタル社会塵第22回に参加しています。
条件:
1)クリスマスイブの翌朝、家でサンタが死んでいるのを発見する。
2)その日の朝刊はなぜか配達されなかった。
3)登場人物に相撲好きがいる。


― いかがでしたか?(さらに詳しく
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posted by 貴 | Comment(0) | TrackBack(0) | 企画もの
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