2006年11月04日

夏色の嘘

 幾通かのダイレクトメールに混ざって、あいつからの手紙が来ていた。そうか、もうそんな時期か。俺は飲みかけのビールの缶を机の上に置くと、びりびりと手紙の口を破って中の絵葉書を取り出した。散らかった机の上の物を脇に寄せて、代わりに葉書を置く。ビールの缶を持ち上げて一口飲んでから、紺色のボールペンを手に取った。
「翔へ
 誕生日おめでとう」
真っ白な葉書の裏面を紺の文字で埋めながら、もう五年ほど会っていない翔の顔をおぼろげに思い浮かべた。
 俺は洋子と六年前に離婚した。その頃の俺は小さな会社を経営していて、だけど俺ならもっと大きな仕事が出来ると思っていた。だけど、洋子はそうは思っていなかったようだ。実際それが正しかったんだろう。離婚したあと、大きくなるはずだった俺の事業はあっけなく行き詰まり、会社は規模をさらに小さくした上で人手に渡った。今、俺は二部屋しかない安アパートに住みながら、続かない仕事を繰り返している。
 二人の離婚の手続きがすべて終わったあと、日本を離れる俺を洋子は翔を連れて空港まで見送りに来た。本当はただの視察のために数日ロス近郊を訪れるだけだったが、洋子にはアメリカ企業との提携が決まりそうなので直接交渉に行くことにしたと嘘をついていた。
「この提携が決まったら、俺もロスに住むことになりそうなんだ。向こうを本拠にした方が、何かと便利がいいからな」
そう、と洋子も晴れやかな笑顔で応えた。この間まで二人の間で交わされていた軋轢などすっかり忘れてしまったような、いい笑顔だ。
「おめでとう、念願が叶ったのね。でも、これからが大変になるんじゃない?」
大変なのはどっちだよ、と俺はその時言いそうになった。急に洋子が離婚をしたいと言い出さなければ、また仕事を探して足を棒にする必要もなかったはずだ。でもまあ、離婚の原因は俺にあったのだから彼女を責めるべきではないかも知れない。しかし、翔を引き取ることにあんなにこだわらなければ、もっと楽な再出発が出来たはずだ。あの時、彼女は「あなたのような人になんか、翔は任せられないわ」と何度も口にしていた。それが俺の生活態度だけではなく、経営者としての能力までも言われている気がして、俺はその度に頭に来たものだ。本当はあの頃から既に会社は危なくなってきていて、――彼女はやはりそのことも気づいていたんだろう。
 絵葉書に翔への言葉を書きながら、その文面が去年とほとんど同じなことに気がついた。当たり前か、去年と何も変わっていないんだ、俺は。この絵葉書はロスに住む友人に送ってもらったものだ。これを封筒に入れて送り返すと、あいつはさもロスにいる俺が送っているかのように翔に送り届けてくれる。ここまでしないと、今の俺のプライドを保つことは出来ないんだ。翔に対しても、洋子に対しても。絵葉書を表に返してみた。そこにはロングビーチのマリーナの風景が描かれていて、まぶしい夏の光りであふれていた。俺がつかみ損なった世界。この絵葉書を眺める翔が抱くだろう期待を想像して、俺は重い気持ちで葉書を裏面に返した。
 飲みかけの缶ビールはとっくに炭酸も抜けていて、一気に飲み干すと苦い味だけが舌に残った。

(2006.6.11)

この作品は超短編小説会の2006年6月のタイトルに参加しています。
条件:タイトルが『夏色の嘘』


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posted by 貴 | Comment(1) | TrackBack(0) | 企画もの
この記事へのコメント
評価:☆☆☆(まあまあ)
Posted by Mr.X at 2006年11月17日 07:43
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